夢見る勇気(ちから)

俺の周りには、素晴らしい才能を持った人がたくさんいる。読ませる文章を書ける奴、A級シューター、QMAのランカー、模型の鬼・・・・。みんなほとんど俺と同じ齢だっていうのに、俺・・・・いや、世間一般の平均的な水準に比べて、はるかに高いものを持っていらっしゃる。俺から遠い世界の人々の「作品」。そういう連中の"偉業"を見ると、惚れ惚れしてしまう。
しかし、惚れ惚れするのと同時に・・・・・・羨望、嫉妬、その他諸々。自分にない、その「チカラ」に羨ましさ*1を感じてしまってならない。バロック期の建築家たちがルネサンス建築に絶えず抱いていた感情・・・・・・・・そう、劣等感。俺はその塊なのである。ついつい、ないものねだりばかりしてしまう。自分には無理だと解っていても。
俺にも、あるのだろうか?そういう「チカラ」が。以前学校でもそんな話題になったことがあって、そのとき担任には、緻密なところなんかそうじゃないかと云われたような気がする。まあ確かに俺の「売り」のひとつであるには違いないのだが・・・。しかし、やはり何か・・・・目に見える、というとちょっと御幣があるかも知れないけれど、何かこう、具体的なものであって欲しい。一言でパッと連想できる、云えばすぐに解るような。そういうものが欲しいのだ。
もしかしたら、当の本人である俺が気づいていないだけなのかも知れない。まだ日の目を見ない能力が眠っているにせよ、他人に誇れるような何かを既に駆使しているにせよ。自分の姿は鏡を使わなければ見ることが出来ないのだから。
自分に自信がないワケじゃあない。むしろ自惚れが強い方だと思う。立場的、能力的に優位なポジションに立って物事を動かせると、最高に気分がよく、スムースに進められる。何だか随分尊大なことを云ってるけれど、基本的に他人を見下して(ナメて)見ている人間なのでしょうがない。典型的な唯我独尊タイプ。だからこそ、自分の牙城がチョットでも切り崩されてしまうと、途端に駄目になってしまうのだ。
やはり、キーとなるのは「自分」。そう、俺自身。自分を知ろうとしないから、自分の「チカラ」にも気づかないし、自分の身の程を弁えないから他人をナメてかかる。悪いのは自分。正しいのも自分。己に眼を向けてみたとき、そのとき俺は、新たな「チカラ」を得ることができるのかも知れない。

*1:いや、妬みの方が正確か